大学生の頃、僕はよく「音楽は愛だ」と後輩たちに説教していた。
まあ何となく雰囲気で言っていた部分もあるのだが、一方でその言葉に含まれる真実には確信も持っていた。
日本の大学ビッグバンド・シーンには某有名楽器店主催のコンテストがあったりして、それは学生たちが腕を磨くモチベーションとしては良いのだが、競争心が過剰になる余り他所の学校から優秀なプレイヤーを引き抜いたり、僅かな技術の差がレギュラー/補欠という地位の違いとなって現れ、演奏出来る機会を多く持つ者とそうでない者が生まれたりと、音楽が本来もたらしてくれるはずの心の豊かさを奪う悲劇も起こったりした。きっとそれは今でも起こっているのだろう。僕自身もそういった特有のカルチャーに翻弄された経験があり、反発していた。だから自分がリーダーとなったとき、後輩たちには「コンテストで入賞するなんてことは音楽の本質とは微塵も関係がない」ということをきっと切実に伝えたかったのだ。
ただ当時は、それがどうして愛という言葉に繋がったのか自分でも判っていなかった。
今は判る。そして今改めて「音楽は愛だ」とつくづく感じている。
誤解のないように申し上げておきたいが、僕は決して、技術を軽視して「気持ち」で音楽が何とかなると思っている人たちには与しない。音楽を実際に創る行為には技術が不可欠で、それは身に付けなければならないものだ。情熱だけで家は建たない。釘を打つこともままならないようでは、不格好な小屋さえ建てることは叶わず、永遠に設計図(楽譜)を眺めるに留まるしかない。
そういう精神論ではなく、音楽とは根源的に愛の行為なのだ。
何故なら音楽とは、インスピレーションの泉から汲み上げた美や神秘や真実を慈しむ心から生まれるものだからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実を、人々と分ち合いたいという衝動の産物だからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実を形にするために、私心を滅し、尽くし、身を捧げる行為だからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実に共鳴する仲間と手を取り合い、互いの創造性や表現に敬意を払いながら作品という我が子を育て上げていくプロセスだからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実を、音という奇跡的な媒体を通じて伝え合い、感じ合い、響き合わせる、至上の官能的体験だからだ。
音楽は愛だ。
今年一年、愛を受け止め、愛を投げ返し、愛を広めてくれた全ての方々に感謝を込めて。
来る2012年、皆がより一層愛し合える世界でありますように。
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