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4/09/2018

悟りに憧れる俗人の悩み

愛読しているブログの最新投稿に以下のような記述があった。

『人間の最も惨めな生き方は、他人の目のなかで生きることだろう』
『自分の価値を発現する職業をみいだして、そこで、余人にはなしえないなにごとかを達成しようとすること自体が、いわば、自分の一生を危うくする発想で、別になにもしなくて、なにごともなしえないで終わっても、それのどこが悪いのか、ということを、両親から教わった』
『せっかく健康な肉体をもって生まれてきたのだから、自分が生きていることを満喫して、また彼岸に帰ればよいではないか。と、いまは思っている』
 『どんなに名を残そう、この世界に新しいものをつけくわえようと頑張ってみても、一個の完結した宇宙である以上、それは意識の意匠にしかすぎなくて、現実は、肉体と中枢神経が感受した「快」の積み重ねができて、死とともに雨散霧消するのでしかない』
『人間の言語が神を前提とし、善を願い、永遠という野原に自分を置いてみたがるのは、いずれも人間の意識が、自分が死ねば、この宇宙は無に帰するのだという寂寥に耐えられないからであるに過ぎない』

フランク・ザッパは死を目前にしてこう言った

インタビュアー「フランク・ザッパという人をどのように覚えていて欲しいですか?」
ザッパ「それは重要なことじゃない」
「全く重要ではない?」
「全くね」
「その音楽によって記憶されたいとは思いませんか?」
「覚えていてもらうこと自体重要じゃないんだよ・・・覚えていてもらえるかどうかを心配するのはレーガンやブッシュみたいな連中だ・・・奴らは覚えていて欲しいのさ。そして多くのカネと多くの努力を費やして、(人々の彼らに関する)記憶がスバラシイものになるよう念を入れるんだ」

禅は、石の上に降りて消える一片の雪のように生きよ、と教える。
ただ人生を無心に生き、何も残さずに終えよ、と。
人生に妙な目的など与えず、ただひたすらに命を全うすることの尊さを説く。

その潔さには憧れるものがあるが、やはりそれは「悟り」の境地にのみあるもので、俗で凡な人間はやはり何事かを達成してみたくなったり、それを他人に認めてもらいたくなったり、あわよくば後世にまで名を残したいなどと図々しいことを考えてしまったりするものだし、人々が自分をどう記憶してくれるか気になってしまうものだ。

それに残された側の人間にしてみれば、愛する人、尊敬する人をいつまでも覚えていたいと願うものだし、次の世代にまで、ずっと後世にまで伝えたいと思うのも仕方のないことであろうと思う。それが例え生きている人間の「意識の意匠にしか過ぎない」としても。例え地球や宇宙や、或いは人類が生き長らえる間だけの、有限の記憶だとしても。

だけど僕は最近「もっと好きなように、悔いの無いように生きなさい」というサインをあちこちで受け取っているような気がするのだ。他人の目の中で生きることを止めて、よく自分の本心に問うて、やりたいことをやって無心に生きてみたまえと。示されたその潔い悟りの境地と、俗人としての自分の世間とのしがらみの間で僕はどうしたものかなと思案する。尤もそれをこうしてブログに書き留めたり、更にはそれをSNSで紹介したりなどという行為は正に「他人の目の中に自分を置く」ことに他ならず、矛盾と俗の極みなのだけれども。

一昨年から昨年にかけて身体を壊した一因は「他人の目の中で生きる」ストレスにあったと言え、これをどのように解消するか、バランスを取って行くか、がここしばらくの関心事で。バランス・・・MUSOHの一番大事なテーマだというのに、自分自身の心のバランスが取れていなかったというオチか。いい歳なんだから、もう少し気持ちを楽に、楽しんで潔く生きることを覚えていかないとな。

清志郎も歌っていたじゃないか。
「人の目を気にして生きるなんて、くだらないことさ」

5/16/2016

『気になる二人のNY対談』 on NYジャピオン

5月29日(日)のBlue Note公演に先立ち、現在配布中の「NYジャピオン」紙上にて高免信喜氏との対談が掲載されています。スペースの関係もありすっきりコンパクトに纏めて頂きましたが、実は3時間ほどにも渡ってかなり多様でディープな話が繰り広げられた、楽しく貴重な機会でした。ウェブでも御覧頂けます。読んでねー。


http://www.ejapion.com/interview/ny-talk/32453

11/22/2015

2016年1月9日(土) 無双 TOKYO EDITION - LIVE @ Absolute Blue

新年早々、日本にお邪魔してこの凄いメンバーとライヴやります!
お見逃しなく!


凄いメンバーを集めることに成功してしまいました。わははは。

市野元彦さんと古谷淳さんはBerklee音大の同期で、現在御自身のプロジェクトを中心に日本で大活躍中。お二人とも独特の音世界を繰り広げ注目を集める、僕の大好きなミュージシャンで、過去に帰国ライヴを行った際にも御一緒して頂いています。
井上陽介さんは申し上げるまでもなく文字通り日本を代表する名ベーシスト、彼がNY御在住の頃ちょくちょくお世話になりました。

余りにも共演が待ち遠しすぎるこのカルテットで、オリジナルとスタンダードを織り交ぜたっぷり2時間、極上の音楽、お届けします!めったに見られないこの組み合わせの妙が生む一晩限りのステージ、絶対にお見逃しなきよう今から御予約下さい!

そして気になる「ハコ」は、先般惜しまれつつ幕を下ろしたSOMETHIN' Jazz Club NYでさんざんお世話になった星川あゆみさんが、帰国後池袋に立ち上げたライヴハウス、Absoute Blue。母校立教大学時代に夜な夜な遊び歩いた(笑)西池袋に新たなシーンを築きつつあるこのヴェニュー、初出演が今から楽しみです!

皆様にお会い出来るのを、心からお待ちしています!来てね~

★御予約はこちらから!

6/17/2015

自己開示

僕は数年前からフル・タイムの音楽家ではなくなり「もう一つの仕事」のためにニューヨークから少し離れたところに移った。それは別に隠していることでも何でもなく、僕と直接関わりを持っている人なら皆知っている。それは家庭を持つ人間として人生設計の過程で決めたことで、恥ずかしいことでもない。しかしミュージシャンとして振舞うときに「敢えて言う」ことはしてこなかった。

アメリカで一人の人間が異なる職種の仕事を二つ、三つ抱えていることは珍しくない。格差が激しく失業率の高いこの社会に於いて、それは収入の安定を図るためであると同時に、一つの仕事がコケたときの保険でもあり、また人の生涯がたった一つの仕事によって規定・評価されるものではないという文化社会的な流動性、柔軟性が確保されていることの証左でもある。

ミュージシャンとて例外ではなく、素晴らしい音楽を生み出しながら会計士をやったり教師をやったり弁護士をやったりその他の商売をやったりと自由である。ここでは「音楽家(musician)」とは「音楽を作る人(one who creates music)」全てを指し、その活動が家計にどれほど貢献しているかの度合いにはあらゆるグラデーションが考えられ、決して「プロ」と「アマチュア」の二極ではない。そして生み出す音楽の質と「食えているかどうか」には(残念ながら)殆ど相関性がない。

日本人の方々は何故か一つの仕事で食っていくことにこだわり、他人にもそれを求めるので、自然ミュージシャンについても「それだけで食っている『プロ』」と「趣味でやっている人」の二種類しか思い付かないようである。今でも思い出すのはかつて流行ったMySpaceのミュージシャン用ページのプロフィール欄で、英語のオリジナルでは 「Signed」「Indie」という選択肢だったのが日本語訳では「プロ」「アマチュア」に置き換えられていて「すげえな、メジャー契約していないミュージシャンはみーんなアマチュアか」と日本人が持つ音楽業界観の厳しさに苦笑したものだ。

そんなわけで特に日本人と接する場合、僕のような「兼業」ミュージシャンは居心地が悪い。音楽家ですと言えば「すごいですね、音楽で生活していけるなんて!」という反応が往々にしてあり、他にも仕事を持っていると判ると何だか騙されたというようにガッカリなさる方も稀にいる。僕自身は以前に比べてペースこそ落ちたが変わらず「プロの仕事」をして対価を頂戴しているし、一緒に音楽を作っている仲間の多くはフル・タイムの音楽家として頑張っている。僕が音楽だけを生活の糧にしていないからといって「じゃあ趣味でやっていらっしゃるんですねー」などと言うことは、僕の音楽性と技術、そして事前の準備などを含めたプロフェッショナリズムを信頼して雇ってくれる彼らに失礼な話だと思うが、まあ音楽を生業としない人々には中々そこまで考えは回らないのかも知れない。

そんな日本人特有の「仕事観」に基いて活動を評価されたり、専業でないことに無用な罪悪感を背負わされるのがちょっと辛いなと感じることがあり、ここに敢えて兼業であることを開示してみようかと思った次第。ミュージシャンといっても色々な生活スタイルがあるのだということがもっと理解されればと思う。ペースがゆっくりになったとはいえ、ニューヨークを中心とする音楽シーンを現在進行形で創り上げている素晴らしいミュージシャンたちの多様なプロジェクトに今も関わることが出来るのは有難く嬉しいことだ。今後も自らの最善を以って彼らの美しいヴィジョンを表現するために尽くしていきたい。

7/19/2014

8月1日(金)、無双 TOKYO EDITION!!

ONE NIGHT ONLY!!

♪日本の皆様へ

所用あって7月末~8月頭に超短期ですが一時帰国するのに伴い、8月1日(金)に一晩限りのライヴを東京都内で行います!急な話だったにも関わらず、ジャズのみならず矢沢永吉や森山良子のツアーなど幅広く活躍する日本を代表する名ギタリストの三好“3吉”功郎さん、バークリー時代の同期で現在日本ジャズ界で大活躍中のピアニスト古谷淳さんとベーシスト嶌田憲二さんが快く共演を引き受けて下さいました。「無双 TOKYO EDITION」と題し、オリジナルとスタンダードを織り交ぜてお送りする予定です!

8月1日(金)
7:00pm 開場
8:00pm 開演

¥2,500 + 1 drink

Jazz Spot THELONIOUS
東京都中野区東中野4-3-1
もみじゃビルB1F
03-3365-0572
http://www6.ocn.ne.jp/~monk/

【無双 TOKYO EDITION】
三好“3吉”功郎(guitar)
古谷淳(piano)
嶌田憲二(bass)
ウチダユタカ(drums)

帰国するのは2010年に結婚式を挙げて以来、およそ4年ぶり。久々に日本で演奏出来ることを心待ちにするとともに、この機会に皆様にお会い出来ることを心より願っております。是非ぜひお越し下さい!


ウチダユタカ

2/26/2014

『Tuesdays / 人生は火曜日』出演 - 後編が公開されました

清武友佳理さん司会のインターネット・ラジオ、「Tuesdays / 人生は火曜日」のインタビュー後編が公開されました!
自分なりの音楽観、人生観を喋らせて頂きました。下の写真をクリックしてどうぞ!
まだの方は、前編も是非よろしくお願いします。

http://www.tuesdaysradio.com/#!uchida-yutaka2/cy5t

2/01/2014

インターネット・ラジオ「Tuesdays / 人生は火曜日」に出演しました

清武友佳理さん司会のインターネット・ラジオ、「Tuesdays / 人生は火曜日」にゲスト出演しました!
普段余り話さないようなことを色々と喋っております。前編が公開されましたので是非お聴き下さい!
下の写真をクリック!



3/11/2013

原発問題を追って 3.11.12 - 3.11.13

昨年の3月11日から1年の間にFacebookに投稿した原発関連記事。
※印は投稿に添えたコメント


【YouTube】青山繁晴ニュースの見方「フランスの原発廃炉現場を視察した2012.2.29」
※「気が遠くなる作業ってのはこのこと」

【NHK】韓国 原発の電源喪失事故で調査
※「プサンは福岡のすぐ対岸」

【毎日新聞】ドイツ:日本の「原発ムラ」降伏せず…メディアの関心高く
※「日本国民は声を上げない。「原発ムラ」はそれを見越し、頼みにしている」

【毎日新聞】保安院:防災強化に反対…指針改定見送り

【Daily Motion 動画】ドイツZDF フクシマのうそ
※「知れば知るほど根が深すぎて途方に暮れるが、それでも皆が知らなければ始まらない。どうか観て下さい」

【JB Press】まるで「演劇」だった原発立地自治体の避難訓練(烏賀陽弘道)
※「私たちが声を上げ、原子力ムラを解体することが出来なければ、このように歴史と将来を失う町が増えていくんだろう」

【Mail Online】Japan tsunami 'ghost ship' drifting to Canada

【Wonderful World】広域がれき処理は違法(1月30日の質疑から)
※「震災廃棄物(がれき)の広域処理は、根拠となる法律が存在しない違法事業」

【ウィンザー通信】これから人生を歩みだす子ども達だけでも、4~5年程度、安全な地域に移してあげるべき!

【VAJRAYANA 真理の探究】核汚染対策の手引き
※1997年にオウム真理教が信者向けに作っていた核汚染対策が、実に良く纏まっていて勉強になってしまうというお話・・・」

【JB Press】「放射性物質は煙突から管理されながら出てくるから大丈夫」と言い張った原子力保安院(烏賀陽弘道)
※「原子力ムラが国を支配した結果、その核汚染対策はカルト教団にも劣ることになった」

【通販生活】溝口敦の人生の失敗:元原子炉格納容器設計技術者・後藤政志さん(第1回)
※「『原子力の一番の問題点は、失敗が許されない技術だという点に尽きます』」

【通販生活】溝口敦の人生の失敗:元原子炉格納容器設計技術者・後藤政志さん(第2回)
※「『電力会社は普段は『原子力は安全です』と言っているのに、過酷事故を想定してフィルターを取り付けるということは、理屈に合わなくなるんです』」

【時事通信】4号機燃料プール、冷却停止=配管で水漏れ20リットル―東電(元記事リンク切れ)
※「最も状態が不安な4号機の燃料プール。復旧出来るのかな」

【YouTube】おーいでてこーい
※「小学生のころ読み漁った星新一のショートショートが動画に。見える人には見えていた」

【JB Press】福島県庁にSPEEDIのデータは届いていた!メルトダウンの恐怖の中、後回しになった住民避難(烏賀陽弘道)
※「そもそも避難しきれない数の人が住んでいる所に原発があり、事故時の被害想定が信じられないほど甘かった上に、県はせっかく手元に送られてきたデータに気付いてもくれないなんて」

【YouTube】Fukushima - Could 85 Times More Cesium than Chernobyl be Released?
※「Please share this information. Either route we take, knowing is the first step」

【Facebook】今日、第一原発の現場に入りました。…
※「福島第一に入った方からの報告」

【Greenpeace】The Chernobyl nuclear disaster: 26 years ago today
※「"It's 26 years later and what have the nuclear industry and its supporters learned? Nothing."」

【BBC】Ukraine to build Chernobyl 'cap' to stop radiation leak
※「チェルノブイリ。今ある『石棺』から放射能が漏洩しているので、その外側にもう一つレイヤーを作り、それが保つであろう100年の間に内側の石棺と炉を取り壊すと。2世代、3世代後まで続く負の遺産」

【東京新聞】寂聴さん、霞ヶ関でハンスト参加 大飯原発再稼働に反対(元記事リンク切れ)
※「『90年生きてきて今ほど悪い日本はありません。このままの日本を若者に渡せない』凄い・・・」

【Daily Motion 動画】ドイツWDR―事故の検証と「希望的観測」のほかなにもない原子力
※「福島だけでなく原子力全般の問題に迫っていて素晴らしい。しかしこういう内容が日本のメディアでは全く報じられない。海外のメディアで検証され、それを誰かが訳してくれるのを待って初めて情報が入るという情けなさ」

【JB Press】1年間封印された凄まじい破壊の痕跡 原発災害で時が止まった街へ(前篇)(烏賀陽弘道)

【YouTube】絶対原子力戦隊スイシンジャー
※「『原作 正力松太郎』(笑)」

【デジタルマガジン】テレビが報じない節電対策。節電にはエアコンを切るよりテレビを切った方が1.69倍効果的
※「原発が全て止まった日に、ろくにニュースでも取り上げず、原子力にまつわる特集も討論番組も組まないテレビなんてとっくに終わってるんだから、是非この夏はみんな率先して切って引導を渡してあげると良い」

【Fukushima Update】Press Release: Coalition Sends Urgent Request for UN Intervention to Stabilize  the Fukushima Unit 4 Spent Nuclear Fuel
※「4号機を安定させるべく国連は動くのか?それにしてもこういうこと、日本で報道されてますか?」

【YouTube】ドイツZDF「放射能ハンター」
※「被曝の危険を冒しながらチェルノブイリの調査・取材を続けているウクライナのジャーナリストが、その経験と知識を手に福島に乗り込み、目にしたものは・・・」

【読売新聞】東京湾の海底土のセシウム、7ヶ月で13倍に
※「NHKスペシャルで予見されていた通り、やはり東京湾に集まってきている」

【福島人権宣言を考える会】人権宣言

【47 News】大飯原発近くの斜面が崩落の恐れ 関電解析、14年度に工事へ
※「これで再稼働なんて正気の沙汰じゃない」

【毎日新聞】敦賀原発:破砕帯の危険性08年から指摘
※「だから日本では無理なんだって。もう終了なんだってば」

【47News】東電、福島原発の津波対策取らず 06年に保安院指摘後も
※「『敷地よりも1メートル高い津波に襲われた場合、保安院は『全国のほとんどの原発』が電源喪失に陥る恐れを指摘』これ、今も変わらないわけだよね?」

【JB Press】別世界のことに思えた「復興」という言葉(烏賀陽弘道)
※「時が止まった街からのレポート後編。言葉が出ない」

【脱原発の日のブログ】北九州市がれき搬入に市民の抵抗
※「未来に想像力が及ばない者が力を持つとこうなる。適切な設備も説明もないまま、なし崩しの搬入。座り込む市民を警察は力で排除。知恵も使命感も勇気も誇りも無いメディアは、それを伝えない」

【YouTube】FRYING DUTCHMAN "humanERROR"
※「AN OUTCRY FROM JAPAN, finally with English subtitles. Please watch!」

【JB Press】福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者(烏賀陽弘道)
※「この人物があの時適所に登用されていたなら・・・と思うと無念でならない」

【ぼやきくっくり】「アンカー」菅前首相の事故調証言の問題点&今も続く福島原子力災害の隠蔽
※「そしてこれ。非常時の自分の権限を知らなかった総理大臣。唖然とするよりない」

【日々雑感】福井県が作成した、大飯原発事故時の避難計画がメチャクチャと話題
※「・・・もう溜息しか出ねえよ」

【毎日新聞】東電事故調:非を認めず 最終報告案「状況の把握困難」
※「反省の色全く無し!」

【BBC】Japan 'must restart' two nuclear reactors, Noda warns
※「This was a week ago, and they are trying to officially make the decision this weekend. "To protect the country's economy and livelihoods?" It won't matter a damn if the country becomes unlivable. Just how hard is it to understand that?」

【晴天とら日和】「原発講演会」高木孝一元敦賀市長の講演内容には言葉もない
※「この講演が29年前で、こいつが言った「50年後」は今からわずか21年後にやってくる。つまり僕の娘の世代が子供を生みつつある時代であって、彼はその子供たちがカタワでもいいと言ったのである。これほど明確に手の届く未来に想像力が及ばず、「今、目の前のカネ」しか見えない近視眼。それは現在の原子力ムラに於いても同じで、だから恐ろしいのだ」

【JB Press】「壊れない」ことにされていた原発の格納容器(烏賀陽弘道)
※「大飯原発の再稼動問題は反原発を訴えるのに判り易いターゲットではあった。でも大飯が動こうと動くまいと、福島は収束していないし、政府や東電の責任は検証、追及されなくてはならないし、原発という存在の不合理、不条理は一向に変わらない。そこで5日に発表される国会事故調の報告。世界の物笑いにならない内容になっているかどうか注視」

【東京新聞】原発事故確率 現実離れ 電力会社「1000万年に1回」
※「ウチの1歳の子も『んなわけないっしょ!』と突っ込みかねない数字」

【DiaNuke.org】Keeping Silent After Fukushima is Barbaric: Ryuichi Sakamoto
※「Thank you, "Professor."」

【JB Press】草むしたゴーストタウンで福島第一原発を見た(烏賀陽弘道)
※「『これは放射性物質で汚染された区域への立ち入り手続きなのだ。それをファミレスのような対応でやっている。それを考えるとぞっとした』放射能汚染区域は単に入るのが危険なだけではなく、未だ事故が収束しないままの原発が至近距離にあるわけだから、あらゆるリスクに対して脆弱になっている。そこへ書き手のジャーナリストが身分を厳しくチェックされることもなくファミレス的対応で入れてしまうとは、国防という観点からも甚だ心許ない」

【JB Press】「一時帰宅」では戻らない平穏な生活(烏賀陽弘道)

【時事通信】津波21mまで「安全」=もんじゅ耐性評価―原子力機構(元記事リンク切れ)
※「『“全交流電源を失っても、ナトリウムが自然循環することで冷却機能を維持できることを前提に”評価を実施』『“これを上回る津波に襲われない限り”設備の安全性は確保できる』・・・『前提』『想定』が覆されまくって福島の事故は起こったんじゃないか。本当に何も学ばないし、学ぶ気もないんだな」

【JB Press】こうして住民避難はどんどん後回しにされた(烏賀陽弘道)
※「初動の遅れを招いたのは保安院?政府?東電?当時の官房副長官による政府の言い分」

【現代ビジネス】脱原発を訴える「反骨の外交官」が緊急寄稿!村田光平「新たな一大汚染の危機と国・東電の無策ぶり」
※「『東電だけでなく、国の実務責任者も『燃料棒の消火に水を使うことが許されない』という重要な事実を知らなかった』・・・何でこういうことを知らない連中が実務を担ってるのよ!? そしてこの危機感とスピード感の無さ・・・事故発生当時と何も変わっていないことに戦慄する」

【8bit News】原発作業員を「嘘の履歴書」で現場に。下請け構造不正の実態
※「言葉を失う」

【時事通信】原発ゼロ、明記せず=新エネ戦略「不断の見直し」―閣議決定文
※「『経済界』という謎の生物に屈してやっぱりこの体たらく。もんじゅも廃炉方針を示せず」

【JB Press】「仏壇」と同じだった原発事故対策システム(烏賀陽弘道)
※「巨額の金を投じて優秀な事故対策システム・防災システムを構築したのに、作った人々、使える人々を排除してしまい、いざという時に使えなかった愚かな国」

【JB Press】格納容器の調査に5年、燃料棒の片付けに11年(烏賀陽弘道)
※「僕はもちろん世界中から原発が無くなって欲しいと思っている。しかしとりわけ日本という国は原発を持ってはいけなかった、今でも持つ資格のない国だと痛感する」

【Twitter】12月14日のつぶやき
「原発がなかったらエネルギーが枯渇して云々」と嘯く推進派の語る未来には『原発とともに心中する』か『さもなくばエネルギー不足で死ぬ』という二つの『死』の選択肢しかない。『原発を捨て』『代替策を知恵を絞って考える』ことによって『生きる』未来を描いていく方が僕には魅力的」

【TheBulletin.org】An open letter to President Obama: The time on the Doomsday Clock is five minutes to midnight

【Wall Street Journal】東電に99億円請求した被ばく米兵8人の代理弁護士に聞く

【YouTube】汚染地帯で何が起きているのか チェルノブイリ事故から4年
※「一番被害を受けるのは子供たち。影響が出るのは何年も経ってから。因果関係が証明されるとすれば、さらに何年も何十年も先。子供を守れるのは、今現在の大人のアクションだけです」

【JB Press】政府も大企業もウソをつく(烏賀陽弘道)
※「ウソをつくのは政府や大企業だけではない。多くの人々が大丈夫だと信じたいがために自分自身にウソをついている。愛する人や自分自身、人類や地球の将来を質に入れて博奕を打ち続けている」

【Web Dice】原発事故の真実を明らかにすれば日本は変革をリードしていくことができる(パティ・スミス インタビュー)
※「良いインタビュー」

【Japan Times】TEPCO plans to dump 'cleaned' Fukushima No. 1 Water
※「UNBELIEVABLE.」

【RT】Chernobyl plant's roof collapses, but no radiation risk
※「At least they built the roof and the sarcophagus. Fukushima Daiichi is still naked.」

【Tenki.jp】震央分布図(過去100日間)
※「Earthquakes in Japan during the last 100 days.」

【JB Press】斑目氏が認めた事故対応の失敗(烏賀陽弘道)
※「一口に原子力ムラと言っても、そこには様々な組織の様々な思惑が絡んでいて実情は外から中々見えない。その一端が垣間見える貴重なインタビューの一回目」

【NAVER】もうすぐ事故から2年になる福島第一原発の現状
※「依然復旧の見通し立たず。あと一ヶ所でも同じような事故が起きたらもう立ち直れないだろう」

【税金と保険の情報サイト】不気味 福島県飯舘村で男の子が生まれない
※「これはかなり怖い」

【中国新聞】上関原発保証金の受領に賛成 山口県漁協祝島支店
※「甚大事故が起こって2年に満たない、その国で反対派の切り崩しが進むという異常事態」

【Greenpeace】Four things you should know about the Fukushima nuclear disaster

【NHK】大越キャスターが見た 福島第一原発の今
※「『大変な重装備』と言いながら高線量エリアを首丸出しで取材するキャスター・・・ぞっとする。それにしてもたった2年前なのに何十年も前のことみたいに『忘れまいあの時を』だなんて・・・どれだけ忘れっぽいんですか」

【T&Jメディカル・ソリューションズ】国際オリンピック委員会への提言
※「五輪招致などやっている場合なの?って話」

【本間龍の日記】私は東京オリンピック招致に反対です
※「五輪招致などやっている場合なの?って話、その2」

【JB Press】誤解して抜け出せなくなった斑目氏(烏賀陽弘道)
※「第2回。原子力安全委員会の役割、権限についてはっきり理解出来ていなかったので色々と勉強になる」

【日本経済新聞】アインシュタインがもし福島を見たら・・・
※「『聖書に書いてあるだろう』か・・・やはり原発は一つの宗教なんだね」

【東京新聞】耐久性より増設優先 福島第一 急造タンク群 3年後破綻
※「考えられない


5/18/2012

覚醒した者だけが夢を語り得る

原発問題は出来るだけ追うようにしている。歴史をそれ以前と以後に分断してしまうような大事故の後、当然のことと思っている。そして関連するニュースや取材記事のリンクをTwitterRTしたり、Facebookに貼り付けたりし続けている。自分でも思うところを言葉にして書くこともある。情報を、問題意識を共有して初めて、「その先」が開けると考えるからだ。

非日本語圏の記事も紹介している。日本人以外の友人にも現状を知って欲しいし、そもそも日本のメディアが避け続けている案件に切り込んだ優良記事も多いからだ。

反応は鈍い。シェアしたり、何かコメントを残したりしてくれる人は大抵ごく限られた同じ人々だし、多くの人は読んだという痕跡すら残していかない。殆どの人は読んでいないのだろう。Facebookでは面倒くさい、鬱陶しいということで僕の投稿がNews Feedに流れないように設定してしまった人もいるかも知れない。

余りにも被災地や原発問題の現実が厳しすぎ、重すぎるから、目を瞑って遣り過ごしたいという人がそれだけ多いのだろう。しかしアーティストの端くれとして言わせて貰えば、アーティストこそ最も現実を直視して生きていなければいけないと思う。そして僕の友人の大半がミュージシャンを始めとするアーティストであることを考えると、この静けさはどうかしていると思う。

ネガティヴなことは言いたくない、人に光や希望や夢を与えたいから、疲れた人々に癒しを与えたいからというアーティストたちがいる。結構だ。しかし現実に目を瞑るアーティストが語る夢物語は泡沫(うたかた)である。その場限りの麻薬である。身を投げようかという者に、まあ取り敢えず一杯やりたまえと酒を差し出すようなものである。

束の間辛さを忘れても、希望は生まれない。現実を知り、伝え、共に解決の道筋を探っていく中でしか、真の希望や夢を描いていくことは出来ない。そのような確かな手応えのある希望や夢をアートによって描くことが出来るなら、深い癒しも可能だろう。一方、現実と向き合うのがイヤだと眠りの世界に逃げ込んで、目を醒ましたくないと駄々をこねる者がいたなら、その頬を引っぱたいて現実を突き付けるのもアートの仕事だろう。

いずれにしても、アーティストは覚醒して現実に寄り添って生きていなければ使命を果たすことは出来ない。アーティスト自身が眠っていてどうするのだ。眠る者は夢を語れない。覚醒した者だけが夢を語り得るのである。

原発災害は、10万年単位、100万年単位での未来への想像力を僕らに要求している。それは途方もない時間のようだけれども、元々人類はそのような悠久の時の流れの中、自然と共に暮らす知恵を脈々と受け継ぎながら過ごしていたのだ――1万年ほど前に一部の人類が、自然を征服し世界を我がものにしようと決意するまでは。僕らはそのような時間感覚を取り戻さなければいけない。

100万年前の過去に思いを馳せ、そして100万年先の未来に想像を羽ばたかせ、その大きな時の流れの中で現在を見つめたい。その上で確かな希望の芽を感じられるような作品を僕は書いていきたいし、そのような取り組みを同世代のアーティストたちがもっともっとしなければいけないのではないかと思う。

そんな訳で、まだ出来上がっていない僕の次作には "A Million Years Ago, A Million Years Ahead" というタイトルが付いている。

※追記
"A Million Years Ago, A Million Years Ahead" は2013年6月に完成し、以降必ずMUSOHのライヴで演奏しています。

3/15/2012

気付いたその時から始めなければならない

そしてまた3月11日が来て、世界中の人々が、様々な形で、被災地の復興を願い、命を落とした方々を悼み、また政府発表とは裏腹に一向に収束の気配を見せない原発事故を憂い、我が祖国の行く末に思いを馳せてくれた。

この一年、多くのミュージシャンが自らに問うたのではないだろうか。このような時に、どのような音楽を紡いでいくべきなのか、自分の負うべき役割とは何なのかと。

私の妻、麻衣子は11日、友人でマクロビオティック・シェフの山脇奈津子さんと共に、「子供と楽しむ」チャリティー・コンサートを行った。二人の母親の呼び掛けにより、会場であるNY市内のジャズ・クラブは多くの家族連れの御予約で満席となった。小さな子供たちにも馴染みのある曲を盛り込んだレパートリーと、身体に優しいお菓子・スナックで、皆さんに楽しんで頂けたように思う。

だが個人的に何より意義深く感じたのは、このコンサートを開催するにあたり、彼女が放射能汚染による子供たちの健康への懸念と、原発依存への反対意志を明確に表明したことだった。本人が意識していたかどうかは判らないけれども、腰が引けて何も言わない者が多い中、これは勇気ある宣言であり、私は我が妻ながら尊敬し、誇りに思う。

ただでさえ音楽が商売になりにくい昨今、政治・社会問題についての立場を明らかにすることは「得にならない」故に、多くのミュージシャンは口を噤むか、全方位的な「頑張ろう」などのメッセージでお茶を濁すのだ。だが社会に問題提起の一つも出来ないばかりか、既に提示され与えられた問題への立場表明も出来ずにアートやアーティストの存在価値など果たしてあるのかと、自戒を込めて思うのである。

私は去年の9月にMUSOH(無双)を立ち上げたが、原型はずっと前、2004年頃に出来ていた。それは1998年頃以降に読んだDaniel Quinnの諸作品から受けた衝撃がインスピレーションになっていて、以来私の作品の多くは、同じテーマに貫かれている。詳しくは彼の著作を是非お読み頂きたいが、非常に噛み砕いた言い方をすれば、世界が人類のためにあるという狂ったヴィジョンを捨て、自然界の法に従い、破局を回避する生き方の模索がテーマであると言える。ただこの数年、曲作りのテーマ自体は変わらなかったものの、それを殊更に明言することもなく「伝わる人に伝わればいい」くらいの態度で来てしまったところがある。

だが2010年の9月に結婚し、その半年後に震災が起こり、その3ヶ月後に私は父親になった。小さな新しい命を抱き、この上ない幸福や希望、父としての責任や使命感に包まれると同時に、それまで観念的な域を出なかった私の現在への憂いや未来への懸念は、いよいよ肚の底から感じられる身体的なものになった。そして私の音楽活動もようやく私という人間の、思考(頭)だけでなく身体や生活、つまり人間としての全体的な活動と一つになりつつあるように感じるのだ。そのような気付きがMUSOHの立ち上げに繋がっている。

遅きに失していると言われるかも知れないけれど、気付いたその時からやはり始めなければならないのだ、疎まれたり避けられたりするかも知れなくても、我が子、そして人類の将来に関わる重大事に口を噤んでいてはいけないのだと自分に言い聞かせ、信念を持った創作活動をし、またそれを人にしっかり伝えていきたいと気持ちを新たにした3月11日だったのである。

12/31/2011

音楽とは根源的に愛の行為である

大学生の頃、僕はよく「音楽は愛だ」と後輩たちに説教していた。
まあ何となく雰囲気で言っていた部分もあるのだが、一方でその言葉に含まれる真実には確信も持っていた。

日本の大学ビッグバンド・シーンには某有名楽器店主催のコンテストがあったりして、それは学生たちが腕を磨くモチベーションとしては良いのだが、競争心が過剰になる余り他所の学校から優秀なプレイヤーを引き抜いたり、僅かな技術の差がレギュラー/補欠という地位の違いとなって現れ、演奏出来る機会を多く持つ者とそうでない者が生まれたりと、音楽が本来もたらしてくれるはずの心の豊かさを奪う悲劇も起こったりした。きっとそれは今でも起こっているのだろう。僕自身もそういった特有のカルチャーに翻弄された経験があり、反発していた。だから自分がリーダーとなったとき、後輩たちには「コンテストで入賞するなんてことは音楽の本質とは微塵も関係がない」ということをきっと切実に伝えたかったのだ。

ただ当時は、それがどうして愛という言葉に繋がったのか自分でも判っていなかった。
今は判る。そして今改めて「音楽は愛だ」とつくづく感じている。

誤解のないように申し上げておきたいが、僕は決して、技術を軽視して「気持ち」で音楽が何とかなると思っている人たちには与しない。音楽を実際に創る行為には技術が不可欠で、それは身に付けなければならないものだ。情熱だけで家は建たない。釘を打つこともままならないようでは、不格好な小屋さえ建てることは叶わず、永遠に設計図(楽譜)を眺めるに留まるしかない。

そういう精神論ではなく、音楽とは根源的に愛の行為なのだ。

何故なら音楽とは、インスピレーションの泉から汲み上げた美や神秘や真実を慈しむ心から生まれるものだからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実を、人々と分ち合いたいという衝動の産物だからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実を形にするために、私心を滅し、尽くし、身を捧げる行為だからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実に共鳴する仲間と手を取り合い、互いの創造性や表現に敬意を払いながら作品という我が子を育て上げていくプロセスだからだ。
何故なら音楽とは、そのような美や神秘や真実を、音という奇跡的な媒体を通じて伝え合い、感じ合い、響き合わせる、至上の官能的体験だからだ。

音楽は愛だ。

今年一年、愛を受け止め、愛を投げ返し、愛を広めてくれた全ての方々に感謝を込めて。
来る2012年、皆がより一層愛し合える世界でありますように。

10/30/2011

自分を捨てたその先に個性は花開く

「自分らしさ」という言葉ほど胡散臭いものはない、と少し前にTwitterで呟いた(その1その2)。自ら「らしさ」を定義することは、結局アーティスト自身が自由な創造への扉を閉ざすことだというのがその主旨だった。その一方「自分らしさ」に縛られたミュージシャンが音楽そのものに与える影響も見逃せない。

「自分らしさ」の表出が目的になってしまえば、音楽はそのための単なる道具になり、音楽そのものが持つインスピレーションは濁って行く。音楽家として僕が心掛けているのは、むしろ自分をどんどん無くしていくことである。仏教で言うところの「無我」の境地はある意味理想だ。まっさらな自分を通して、音楽の抱えているメッセージ、ヴィジョンを濁らせること無く表現し伝えられれば、言うことは無い。

「自分を通して音楽を表現する」のだ。「音楽を通して自分を表現する」のではない。ミュージシャンはmedium=媒体なのであり、インスピレーションのsource=源はあくまでも音楽そのものにある。ただ、無我とはやはりあくまでも理想郷なのであって、人である以上どうしてもその人となりは出てしまう。ここに個性というものが立ち現れる。自分を捨て、音楽に献身的に向き合った結果、どうしても消えずに最後に滲み出てしまうものこそが個性であり、それは自ら決めつけた「自分らしさ」とは全く異質のものだ。

音楽制作とは多くの場合、作曲家や演奏者だけに留まらない複数の人間によるアンサンブルであるから、全員が「この音楽を表現するために我々はどう貢献出来るか」という態度で臨まなければ好ましい結果は見込めない。関わる人々がそれぞれ一つの作品に対して私心なく尽くしに尽くしたその先に初めて、個性の花咲く地平が見えてくる。他の大勢との対話、双方向の批評、協同的な創作プロセス、そうしたものを全て背負った上で花開く個性。それは始めから「自分を出す」ことばかり考え、自分勝手に定義した「自分らしさ」よりはるかに強靭で美しい。

大切なのは音楽そのものが伝わっているかどうか。無心で自分を捧げれば、個性は後から付いてくる。

10/12/2011

作曲とは曲の本当の姿を見付けること

10月22日の "JAZZ... MAKE IT A DOUBLE" に向け、何とか新曲を2点仕上げることが出来た。

いずれ曲に発展するかも知れないアイデアの断片はいつもストックしているが、演奏すべきライヴ、そしてそのためのリハーサルという締切が無ければ、それらは決して曲になることはない。今回はそれに加えて「新曲を書き始めた」「新曲を演奏します」とTwitterやFacebookで宣言までして自分にプレッシャーを掛けた。2曲書くというのは自分に課した目標だった。1曲書き終えた時点でリハーサルまで2日を切っており、正直なところ1曲新しい演目があれば許して貰えるのではないかという思いも頭を過ったが、もう1曲も書き掛けだったし、今回所謂「対バン」であるところのThe Archi-tetの方も新曲が2点用意されていたので、イベントの企画者としても仕上げないわけに行かなかった。

このような産みの苦しみはもう毎度のことだ。毎回自分で設定した締切ぎりぎりまで七転八倒、泣きそうになりながら書いている。今回も2曲の清書をFinaleで終え、プリントアウトしたのはリハーサル30分前だった。リハーサルの場所を近所にしておいて本当に助かった・・・しかしそんな苦闘を繰り返しながら、いつも納得の行く作品を必ず仕上げて来ている、そのことが自信を支えている。

作曲にはキーボードを使うが、聴こえているアイデアを即座に弾ける腕は無いので、頭の中でそのアイデアを練る時間がかなり長くなる。ある程度しっかりと音像が描けてからでないと、うっかり間違った音を弾いた瞬間に全てが吹き飛んでしまうこともあるからだ。ピアノの鍵盤を弄んだり、ギターの弦を爪弾いたりしているうちに1曲出来ちゃった、なんて人を羨ましく思うことも無いではないが、すぐに楽器に触らずに脳内でアイデアをゆっくり育む、その時間が曲の根幹、主張を強靭にすると信じている。

それでも曲は、書き進めるうちに当初思い描いていたのとは全く違う、思わぬ方向へ舵を切ることがある。頭の中では素晴らしい響きだったのが、実際に鳴らしてみると大したことがなくて修正を余儀なくされることもしばしばである。ここが実は一番楽しいところだ。自分の予想を上回る真実の発見。ああ本当はお前はそういう曲だったのだねという感動。そこに辿り着いていないときは、書きながらちょっとした違和感を感じている。その違和感を汲み取り、曲の本当の姿を見付けることが出来るか。作曲家にとって真価を問われる場面であり、腕の見せ所でもある。今回の2曲も、頭の中で充分に曲想を練った上でスタートしたが、書いているうちに徐々に真の姿を現していき、最終的には大分予想と違う作品になった。だが曲の根幹、主張は変わっていない。それでいいのである。

この度の新曲、1つは4ヶ月になる娘に捧げて書いた。陳腐だと思う向きもあるかも知れないが、父親というのはそういうことをするものである。もう1曲は、太古の人類が神々に捧げた、荒々しく野性的な祈りのダンスをイメージしている。どちらもMUSOHという新プロジェクトの船出に相応しい作品に仕上がり、是非多くの方々に聴いて欲しいと願っている。



10月22日(土)、"JAZZ... MAKE IT A DOUBLE" を宜しくお願いします!

9/30/2011

正解(こたえ)のない創造の海原へ

こと演奏に関してはアガるということが昔から無かった。
アガるという人の話を聞くと、練習なりリハーサルなり、要は準備したことが上手く演奏出来るかどうか不安なのが主な理由であるようだ。
そして不安になるのは準備が充分でないからだとも思っているようだ。

問題は練習量ではなく、準備、練習の仕方と、演奏の際の心構えにあるように思う。
「練習したことが上手く出来るだろうか」という考えは、そこに演奏すべき「正解」があるという前提に基づいている。そのような前提の下に行われる練習やリハーサルは、自ら設定したその「正解」へ辿り着くための演奏の精度を高めることが目的になりがちである。そして本番の自己評価も、自ら定めた「正解」にどれだけ近付けたかを基準になされることになるだろう。

しかし「正解」は、即興であるなしに関わらずステージに立つその度に異なるのだ。メンバーの調子によって、現場の音環境によって、その時に出されたテンポの微細な違いによって、そしてその時一回限りの聴衆と共に生み出される場のダイナミクスによって。従ってこれは正解が無いのと同義だ。

中でも聴衆との関わりをどう意識するのかは重要である。「オーディエンス参加型」などと称されるコンサートがあるが、何も手拍子をしたり一緒に歌ったりしなくても聴衆というのは本質的にそのライヴ空間に参加しており、場の決定に深く関わっている。ステージの内側で完結せず、聴衆と共に音楽を創っているのだという意識で演奏しているか。さもなければミュージシャンと聴衆は「相対する」他者となり、そのステージは練習したこと(或いは仕込んだネタ)を「発表」するだけの場になるだろう。しかし聴衆が一緒に音楽を創り出す「仲間」であり、ステージの行方はその時々の流動的なものであり、正解など無いのだと知れば、発表会的な図式から解放されて自由な創造の海へと漕ぎ出す勇気を得ることが出来るだろう。

正解(こたえ)のない創造の海原へ恐れず漕ぎ出すためには、環境、状況の変化に柔軟に、自由に対応するための技術と気構えを持っていなければならない。
練習は身体の自由度を高めるために網羅的に行い、「音楽的なフレーズ」をストックすることには拘らない。正解のない創造の海原では、前もって用意したネタなど役には立たないのだ。メンバー、そして聴衆との絶え間ない呼応の中で、押し寄せるインスピレーションの波をどう乗りこなして行くかは、その場の瞬時の判断に委ねられている。そして何が起こるか判らない未来を喜んで受け入れる度量と好奇心が、その判断を支え、導いてくれるに違いない。

9/18/2011

読みやすく書いてよね

ビジネス・メールは簡潔さと明快さが肝要である。
良く出来たメールはトピックが明確で、仮に長くなっても理路整然として構成力に優れているため大変読みやすく、頭にすっと入ってくる。

一方、残念ながら時々とんでもなく読みにくいメールを書く人がいる。
無用に長く、複数の話題を一通のメールに無理に詰め込んで書いてくる。文章が構成力に欠け、何がそのメールの主たるトピックなのか良く判らない。本当に伝わるべき大事なことが、どうでもいい周辺の説明に埋もれて見えにくい。誤字脱字もそのまま。要点を見落として下さいと言っているようなものだ。

ところがさらに残念なことに、そういう人に限って自分の書いたことは事細かに覚えていて、後から「あのメールにちゃんと書いたじゃないですか」などと言ってくるのである。
読み返してみると確かに書いてある・・・他の4、5件くらいのもっと重要そうな話題の添え物のように・・・これは見落とすだろう、と言いたくなる所に。

何かに似てるなあ、と思っていたのだが、最近判った。
読みにくい譜面に良く似ているのだ。

良く出来た譜面というのは、単に必要な情報が載っているというものではない。デザイン力に優れ、曲の構成や注意すべきポイントを視覚的に掴みやすい譜面は、それだけで読む者(ミュージシャン)の進むべき方向を明るく照らし出す道標となる。本当に優れた譜面なら(ミュージシャンの読譜力が前提とは言え)驚くべき早さで曲をあるべき姿に近付けることが出来る。リハーサルの時間を無駄にしないというプラクティカルな側面からも、「判る」譜面を書くことは実に大事な仕事なのである。

最近は記譜ソフトで譜面を書く人も多いので、音符やコードの表記自体が読めないという譜面は少なくなった。PC上でタイプするメールの文字が一様に綺麗なのと同じである。それでも読みにくい譜面は後を絶たない。ソフトが誤表記まで直してくれるわけではないし、何をどこにどう書くべきかを決めるのは相変わらず人間なのである。必要な情報が書かれていないのは論外だが、必要な情報が載っているにも関わらず読みにくいのは書く者のデザイン力、構成力の問題であって、幾ら記譜ソフトを駆使して「悪筆」を撲滅したところで解決しないのである。そして残念なことに、そういう譜面を書く人に限って(以下略)

実を言うと、醜悪な譜面を長年に渡って読まされ続けるうちに、ミュージシャン側の読む力が妙に鍛えられて大概の局面は何とか出来るようになってしまうという事実はある。だが勿論、それで読みにくい譜面を書くことが正当化されるわけではない。本当の音楽作りは譜面を理解したその先にあるのであって、本番でも必死に譜面に喰らい付いて演奏しなければならないようでは創造のプロセスを深めていくことはままならないのだから。

新しいプロジェクトのために新曲を書き始めた。充分気を配って譜面を用意したい。

9/01/2011

当ブログについて

MUSOHブログへようこそ!

色々書いていきたいと思っているのですが、英語と日本語どちらで書くか、この選択が悩ましい。日本語で書いたエントリーは日本語が読めない人にとっては単なるノイズとなってしまいますが、一方、内容が深く込み入った場合は日本語の方が書き易いですし、英語が苦手な方々のためにも日本語でも書きたいというジレンマがあるのです。

と云って、全てのエントリーを日英両語で書く暇もないので、あるエントリーは英語で、あるエントリーは日本語でと書き分けていくことになると思います。どちらかでしか読めない話題も発生するかと思いますが、悪しからず御了承のほど。

当面は新しいプロジェクトのこと、そして10月22日のお披露目に向けて思うことを書いていければと思っています。Stay tuned!