そしてまた3月11日が来て、世界中の人々が、様々な形で、被災地の復興を願い、命を落とした方々を悼み、また政府発表とは裏腹に一向に収束の気配を見せない原発事故を憂い、我が祖国の行く末に思いを馳せてくれた。
この一年、多くのミュージシャンが自らに問うたのではないだろうか。このような時に、どのような音楽を紡いでいくべきなのか、自分の負うべき役割とは何なのかと。
私の妻、麻衣子は11日、友人でマクロビオティック・シェフの山脇奈津子さんと共に、「子供と楽しむ」チャリティー・コンサートを行った。二人の母親の呼び掛けにより、会場であるNY市内のジャズ・クラブは多くの家族連れの御予約で満席となった。小さな子供たちにも馴染みのある曲を盛り込んだレパートリーと、身体に優しいお菓子・スナックで、皆さんに楽しんで頂けたように思う。
だが個人的に何より意義深く感じたのは、このコンサートを開催するにあたり、彼女が放射能汚染による子供たちの健康への懸念と、原発依存への反対意志を明確に表明したことだった。本人が意識していたかどうかは判らないけれども、腰が引けて何も言わない者が多い中、これは勇気ある宣言であり、私は我が妻ながら尊敬し、誇りに思う。
ただでさえ音楽が商売になりにくい昨今、政治・社会問題についての立場を明らかにすることは「得にならない」故に、多くのミュージシャンは口を噤むか、全方位的な「頑張ろう」などのメッセージでお茶を濁すのだ。だが社会に問題提起の一つも出来ないばかりか、既に提示され与えられた問題への立場表明も出来ずにアートやアーティストの存在価値など果たしてあるのかと、自戒を込めて思うのである。
私は去年の9月にMUSOH(無双)を立ち上げたが、原型はずっと前、2004年頃に出来ていた。それは1998年頃以降に読んだDaniel Quinnの諸作品から受けた衝撃がインスピレーションになっていて、以来私の作品の多くは、同じテーマに貫かれている。詳しくは彼の著作を是非お読み頂きたいが、非常に噛み砕いた言い方をすれば、世界が人類のためにあるという狂ったヴィジョンを捨て、自然界の法に従い、破局を回避する生き方の模索がテーマであると言える。ただこの数年、曲作りのテーマ自体は変わらなかったものの、それを殊更に明言することもなく「伝わる人に伝わればいい」くらいの態度で来てしまったところがある。
だが2010年の9月に結婚し、その半年後に震災が起こり、その3ヶ月後に私は父親になった。小さな新しい命を抱き、この上ない幸福や希望、父としての責任や使命感に包まれると同時に、それまで観念的な域を出なかった私の現在への憂いや未来への懸念は、いよいよ肚の底から感じられる身体的なものになった。そして私の音楽活動もようやく私という人間の、思考(頭)だけでなく身体や生活、つまり人間としての全体的な活動と一つになりつつあるように感じるのだ。そのような気付きがMUSOHの立ち上げに繋がっている。
遅きに失していると言われるかも知れないけれど、気付いたその時からやはり始めなければならないのだ、疎まれたり避けられたりするかも知れなくても、我が子、そして人類の将来に関わる重大事に口を噤んでいてはいけないのだと自分に言い聞かせ、信念を持った創作活動をし、またそれを人にしっかり伝えていきたいと気持ちを新たにした3月11日だったのである。
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