10月22日の "JAZZ... MAKE IT A DOUBLE" に向け、何とか新曲を2点仕上げることが出来た。
いずれ曲に発展するかも知れないアイデアの断片はいつもストックしているが、演奏すべきライヴ、そしてそのためのリハーサルという締切が無ければ、それらは決して曲になることはない。今回はそれに加えて「新曲を書き始めた」「新曲を演奏します」とTwitterやFacebookで宣言までして自分にプレッシャーを掛けた。2曲書くというのは自分に課した目標だった。1曲書き終えた時点でリハーサルまで2日を切っており、正直なところ1曲新しい演目があれば許して貰えるのではないかという思いも頭を過ったが、もう1曲も書き掛けだったし、今回所謂「対バン」であるところのThe Archi-tetの方も新曲が2点用意されていたので、イベントの企画者としても仕上げないわけに行かなかった。
このような産みの苦しみはもう毎度のことだ。毎回自分で設定した締切ぎりぎりまで七転八倒、泣きそうになりながら書いている。今回も2曲の清書をFinaleで終え、プリントアウトしたのはリハーサル30分前だった。リハーサルの場所を近所にしておいて本当に助かった・・・しかしそんな苦闘を繰り返しながら、いつも納得の行く作品を必ず仕上げて来ている、そのことが自信を支えている。
作曲にはキーボードを使うが、聴こえているアイデアを即座に弾ける腕は無いので、頭の中でそのアイデアを練る時間がかなり長くなる。ある程度しっかりと音像が描けてからでないと、うっかり間違った音を弾いた瞬間に全てが吹き飛んでしまうこともあるからだ。ピアノの鍵盤を弄んだり、ギターの弦を爪弾いたりしているうちに1曲出来ちゃった、なんて人を羨ましく思うことも無いではないが、すぐに楽器に触らずに脳内でアイデアをゆっくり育む、その時間が曲の根幹、主張を強靭にすると信じている。
それでも曲は、書き進めるうちに当初思い描いていたのとは全く違う、思わぬ方向へ舵を切ることがある。頭の中では素晴らしい響きだったのが、実際に鳴らしてみると大したことがなくて修正を余儀なくされることもしばしばである。ここが実は一番楽しいところだ。自分の予想を上回る真実の発見。ああ本当はお前はそういう曲だったのだねという感動。そこに辿り着いていないときは、書きながらちょっとした違和感を感じている。その違和感を汲み取り、曲の本当の姿を見付けることが出来るか。作曲家にとって真価を問われる場面であり、腕の見せ所でもある。今回の2曲も、頭の中で充分に曲想を練った上でスタートしたが、書いているうちに徐々に真の姿を現していき、最終的には大分予想と違う作品になった。だが曲の根幹、主張は変わっていない。それでいいのである。
この度の新曲、1つは4ヶ月になる娘に捧げて書いた。陳腐だと思う向きもあるかも知れないが、父親というのはそういうことをするものである。もう1曲は、太古の人類が神々に捧げた、荒々しく野性的な祈りのダンスをイメージしている。どちらもMUSOHという新プロジェクトの船出に相応しい作品に仕上がり、是非多くの方々に聴いて欲しいと願っている。
10月22日(土)、"JAZZ... MAKE IT A DOUBLE" を宜しくお願いします!
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