ビジネス・メールは簡潔さと明快さが肝要である。
良く出来たメールはトピックが明確で、仮に長くなっても理路整然として構成力に優れているため大変読みやすく、頭にすっと入ってくる。
一方、残念ながら時々とんでもなく読みにくいメールを書く人がいる。
無用に長く、複数の話題を一通のメールに無理に詰め込んで書いてくる。文章が構成力に欠け、何がそのメールの主たるトピックなのか良く判らない。本当に伝わるべき大事なことが、どうでもいい周辺の説明に埋もれて見えにくい。誤字脱字もそのまま。要点を見落として下さいと言っているようなものだ。
ところがさらに残念なことに、そういう人に限って自分の書いたことは事細かに覚えていて、後から「あのメールにちゃんと書いたじゃないですか」などと言ってくるのである。
読み返してみると確かに書いてある・・・他の4、5件くらいのもっと重要そうな話題の添え物のように・・・これは見落とすだろう、と言いたくなる所に。
何かに似てるなあ、と思っていたのだが、最近判った。
読みにくい譜面に良く似ているのだ。
良く出来た譜面というのは、単に必要な情報が載っているというものではない。デザイン力に優れ、曲の構成や注意すべきポイントを視覚的に掴みやすい譜面は、それだけで読む者(ミュージシャン)の進むべき方向を明るく照らし出す道標となる。本当に優れた譜面なら(ミュージシャンの読譜力が前提とは言え)驚くべき早さで曲をあるべき姿に近付けることが出来る。リハーサルの時間を無駄にしないというプラクティカルな側面からも、「判る」譜面を書くことは実に大事な仕事なのである。
最近は記譜ソフトで譜面を書く人も多いので、音符やコードの表記自体が読めないという譜面は少なくなった。PC上でタイプするメールの文字が一様に綺麗なのと同じである。それでも読みにくい譜面は後を絶たない。ソフトが誤表記まで直してくれるわけではないし、何をどこにどう書くべきかを決めるのは相変わらず人間なのである。必要な情報が書かれていないのは論外だが、必要な情報が載っているにも関わらず読みにくいのは書く者のデザイン力、構成力の問題であって、幾ら記譜ソフトを駆使して「悪筆」を撲滅したところで解決しないのである。そして残念なことに、そういう譜面を書く人に限って(以下略)
実を言うと、醜悪な譜面を長年に渡って読まされ続けるうちに、ミュージシャン側の読む力が妙に鍛えられて大概の局面は何とか出来るようになってしまうという事実はある。だが勿論、それで読みにくい譜面を書くことが正当化されるわけではない。本当の音楽作りは譜面を理解したその先にあるのであって、本番でも必死に譜面に喰らい付いて演奏しなければならないようでは創造のプロセスを深めていくことはままならないのだから。
新しいプロジェクトのために新曲を書き始めた。充分気を配って譜面を用意したい。
頭脳明晰と感じさせる文章力。
ReplyDelete素晴らしいです。
又、プロジェクトってのも素晴らしい!
bonbonbon様
ReplyDelete有難うございます。励みになります!